東横堀川の歴史
- 東横堀川ING
- 2021.08.27
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東横堀川の歴史
東横堀川は大阪の中心地を流れており、大阪城の建設、新しい西洋文化の導入、水都大阪再生のスタートなど、新しい時代の幕開けに立ち会ってきました。そんな伝統を受け継いで、界隈の市民は自立心が強く、若者やチャレンジしたい人に「やってみなはれ」の精神で受け入れる文化が息づいています。水都大阪の再生がスタートした2000年代、市民が中心となって、お掃除にはじまり、公共空間の規制緩和や、身近な環境づくりなど、できることから試みを積み重ねてきました。そして2021年、その活動が結実して、東横堀川初の水辺拠点「β本町橋」がオープンします。市民・地域・事業者・行政がともに手を携えて、東横堀川の次世代に向けた水辺づくりがスタートします。
1585–
近世:安土桃山~江戸時代
- 1585年、大坂城の惣構として開削される。
- 大坂城のある武家町と、町人町である船場をつなぐ要所として、公儀橋が架けられた。
- 高麗橋は東海道57次の終着点で、大坂の玄関口としてにぎわった。
- 本町橋東詰には西町奉行所が立地した。
1868–
近代:明治~大正時代
- 1868年、本町橋の東詰めに、初代大阪府庁が立地。
- 1870年、高麗橋が大阪初の鉄橋としてかけかえられて、人気の名所に。
- 本町橋の東詰めに、大阪博物場(1875年~)や商品陳列所(1917年~)など新しい西洋の文物を導入する施設が立地。
- 1913年、現在の本町橋が架けられ、本町通に市電が開通。
1965–
現代:昭和~平成
- 1965年、阪神高速道路が川の上に整備される。
- 1968~1976年、川を埋め立てて東横堀緑道が整備される。
- 2000年、閘門式の東横堀川水門が建設される
2001–
水都大阪再生期
- 2001年、「水の都大阪再生構想」が内閣府都市再生プロジェクトに採択され、府・市・経済界が一体となって取組みがスタート。
- 2006年、大阪商工会議所の呼びかけで、
地域住民やショップオーナーが集まり、東横堀川水辺再生協議会(e-よこ会)を設立。 - 2007年、e-よこ会のメンバーを中心に東横堀緑道愛護会を設立。
- 2008年から、地域のイベント「e-よこ逍遥」を毎年開催。
- 2008年、川の水面を占用した初の小型船係留実験を実施。
- 水都大阪のシンボルイベント「水都大阪2009」にて、水辺の公園に川舞台を設置して社会実験を実施。
- 2013年、本町橋両詰めの住民や企業を中心に、本町橋100年会を設立。
- 2015年、本町橋振興町会メンバーを中心に東横堀公園愛護会を設立。
- 2015年、東横堀川初の船着場「本町橋船着場」が本設整備される。